ぽこあぽこ日記

強迫性障害とフォーカルジストニアと不育症と闘うピアノの先生の日常

私のフォーカルジストニア

 

フォーカルジストニア (局所性ジストニア)とは・・

 

楽器演奏者や漫画家、美容師など、特定の動きを繰り返し行う習慣がある人が、特定の動きをする時にだけ、その動きに必要な筋肉が過度に収縮したり、動かしたい筋肉とは別の筋肉が動いたりして、思うように手や指などを動かせなくなる疾患です。手や指の他にも、ドラマーの足や歌手の喉など、細かい動きを要求される部位に発症します。(特に職業性ジストニアとも言います)

脳や神経系統の何らかの機能異常によって起こると言われていますが、まだまだ解明されていない部分が多いようです。

 

 

 

 

 

 

 

私がブログを始めようと思ったのは…

 

フォーカルジストニア を発症して5年半。

フォーカルジストニア を治す!

と決めたからです。

 

 

 

 

2016年6月初めての妊娠で流産したあと、

そのショックの反動のように、

前にも増してがむしゃらにピアノの練習に打ち込んだのは覚えています。

すぐに手に違和感が出始めました。

もちろん「ジストニア」なんて知りませんでした。

おかしいな、と思ってその左手の弾きにくい箇所を何度も何度も練習しました。

でも弾けば弾くほど弾けなくなりました。

それから2〜3ヶ月の間にコンサートがいくつかありましたが、左手の違和感をなんとかごまかしながら弾き…

何人かの音楽関係の知り合いにも相談しました。勧められてペインクリニックという所でレントゲンを撮ったりもしましたが、異常なしと言われました。

 

2016年11月にちょうど地元でコンサートがあり恩師に会う機会がありました。

そこで手の症状を話すと、初めてジストニアの可能性を指摘されました。

子供の頃からいつも私を導いてくださる、私にとってとても偉大な先生で…

今思えば、あの時ジストニアと指摘してもらわなければ、弾くことを続けてしまって症状がもっともっと悪化していたと思います。

本当に感謝してもしきれません。

 

その時、ジストニアの専門の本もその先生に貸していただきました。

でも、読めませんでした。

たぶん、自分がそんな疾患だなんて、受け入れられなかったのだと思います。

ジストニア =治らない

とネットなどで多く書いてありました。

治療法が確立されていない、とか改善が限定的とか…

あの作曲家シューマン演奏家を断念した理由もジストニア という事もこの時初めて知りました。

 

それまで当たり前のように毎日毎日、30年近くピアノを弾いてきて

何よりも大事なもの…人生をかけてやってきた事…

 

もうピアノを弾けないかもしれない。

 

受け入れられるわけがありません。

 

きっと、ジストニア っぽくなったけど、しばらくしたら元通りになるかも…

流産したショックでこうなってるだけかも…

 

なんてどこかで思っていたのだと思います。

でもとにかくこのまま続けるのは良くなさそうだ、一旦少し弾くのを休んでみよう。

 

そんな感じで2016年11月のコンサートを最後に、ピアノを弾くのを辞めました。

 

 

 

 

 

その頃から自宅のピアノ教室の生徒が増えていきました。

それと同時に強迫性障害の症状も悪くなっていきました。

 

いつの間にか普段の生活も思うようにうまく回らなくなっていました。

家事とレッスンのお仕事と、それに伴う強迫行為で毎日いっぱいいっぱいで、

ピアノの事を考える余裕がなくなっていたのだと思います。

 

少しネットでジストニアの事を調べたりもした記憶はありますが、

治療だとか、リハビリだとか、トレーニングだとか、

その事実を受け入れられていなかったのか、

全く頭に入って来なかったのだと思います。

 

 

ジストニア と向き合えずに、時が過ぎていきました。

 

 

強迫性障害は、

何よりも大事にしてきたピアノをも頭から消し去ってしまうくらい、怖い病気なのです。

生活、人生すべてが囚われてしまうのです。

 

 

 

 

 

あれから約5年半。娘を出産して約4年。

 

娘も成長し、手がかからなくなってきて、強迫性障害の方も子育てという名のトレーニングのおかげで、少しずつ出来ることが増えてきました。

同時にピアノに気持ちや時間を割く余裕もほんの少し、出てきました。

 

そして今年に入り本格的にリハビリを始めました。

 

それまでの間、何度かピアノに触ってみた時期はありました。

久しぶりに恐る恐る弾いてみると、

違和感が少なくなってる!

ということが多くて、でも何日か弾いているとまた違和感が出てきてしまう…というのを繰り返していました。

 

違和感が元に戻ってくると、直感的に

「弾かない方がいいかな、これ以上やってもダメそうだ」

というのがあったので、すぐにまた弾くのをやめます。

そしてまたしばらく何ヶ月も弾かない。

 

というのを何年かの間、何度も何度も繰り返し・・

 

 

今年2022年に入ってから、

「あ、これはいずれ弾けるようになるな…

という確信を持てるようになり、本格的にリハビリをしていくことを決めたのです。

 

 

 

 

 

それでもまだまだ、日によって調子もさまざまなので、突然希望が見えなくなり、絶望的になったりすることはあります。

 

 

でもそういう時は、

 

①全く別のリハビリ方法で解決策を探す。

 

それでもダメなら

②弾くのをしばらくやめる。

 

 

 

私のフォーカルジストニアは、強迫性障害と深くつながっていると確信しているので、

強迫性障害の特徴である「囚われてこだわってしまう」というのが出て、弾けないことを気にし過ぎてついこだわってしまうと、

筋肉も硬直して手もますます違和感が出てきてしまうことをわかっているので、

 

弾けないことを気にしない。

深く考えない。

 

これ鉄則です!

 

 

リハビリ方法をいろいろ試行錯誤して模索しなきゃいけないのに、深く考え過ぎてはいけない…

このバランスが難しい(笑)

 

 

 

そんな感じでここまで回復してきました。

 

もしかしたら強迫性障害ではない人でも、心の持ちようは回復への道として、共通するところがあるかもしれません。

フォーカルジストニア強迫性障害も、ストレスや精神的なものが大きく影響していると感じるからです。

前向きになれない時は何事もうまくいきません!

 

 

 

 

 

リハビリを始めるまでの経過ややった事、今現在のリハビリの具体的な方法などは、また詳しく書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

調子の悪い日

時々、どうしようもなく調子の悪い日があります。

 

調子が悪いというのは、

何をするにも強迫さんにとらわれていて

何をするにも嫌悪感がまとわりついて

何をするにもモヤモヤして前に進めなくなったり

いちいち止まったり頭で確認したりして

何をするにもとにかく時間がかかってしまう状態です。

 

 

強迫さんの声をうまくやり過ごす事が出来ずに押し潰されそうになって、

とにかく辛い状態なんです。

言葉ではうまく言い表わせませんが。

 

 

 

そういう日はほとんど何も出来ずに時間だけが過ぎていきます。

自分でも、何時間も一体何をしているかわかりません。

 

「今この自分の手は何を触った後の手なのか」

なんて事ばかり考えて時間が過ぎていきます。

 

「この前、外で娘が踏みそうになった液体は誰かのツバなのか?それとも…」

なんて気になり出したらもう止まりません。

子供は靴を脱ぐ時など普通に靴の裏などを

ベタベタ触りますし、

外でだっこした時に、娘のスニーカーが私や夫のズボンにふつーに、付きます。

 

つまり、

靴の裏が気になる

   ↓

そこが触れたかもしれない物や手が気になる

   ↓

その手や物が触れた家の中の物あれもこれも、靴の裏の汚れがうつっている

 

 

というふうに、嫌悪感でいっぱいになってしまいます。

 

 

そこまで考えるかって

この頭が本当に嫌になります。

 

 

 

 

そんな日でしたが

娘を幼稚園に送り出し、習い事にもなんとか

連れて行く事が出来たので、

それだけでまぁ良しとするしかありません。

 

 

そんな日はフォーカルジストニア の調子もあまり期待できないので、

弾くのはやめときます。

 

 

割り切るのもとても大事です。

 

 

 

 

強迫性障害とフォーカルジストニアは関係があるか

2016年当時、手の違和感はピアノを弾く時だけでした。

 

それから、はっきりとした時期は覚えていないのですが、

2018年頃から、日常のきまったある動作をする時にも左手に違和感が出るようになったのです。

 

 

 

例えば、

手を洗っている時

シャワーで髪を洗っている時

ドライヤーで髪を乾かしている時

運転している時

人差し指で何かを指差す時

 

 

目立って違和感が出るのはこんな感じだったと思います。

 

 

 

でも不思議だったのは、この頃ピアノは一切弾いていない時期だったのです。

 

強迫性障害は悪化していました。

 

 

 

強迫性障害の症状が強く出ている日(調子が悪い日と言っています)は

この手の違和感も強く感じたりする時もありました。

 

 

 

それから約4年

その普段の生活の中で感じる左手の違和感が、

最近小さくなっていることに気が付きました。

今年の2月頃からだと思います。

 

車の運転時の違和感は、もっと前かもしれません。いつの間にか感じなくなっていました。

 

 

 

これはピアノのリハビリを本格的に始めたからなのか、

強迫性障害の症状が改善してきているからなのか・・

わかりません。

 

 

 

 

以前、強迫性障害の専門の先生のカウンセリングを受けた時、

 

いつもドライヤーの時に出る左手の違和感が、

ホテルに宿泊した時のドライヤーでは出なかったのは何故か

 

と質問した事がありました。

 

先生は、

「家では白黒はっきりしているけど、

 そこではすべてグレーだったからよ」

とおっしゃいました。

 

 

 

 

 

まぁいずれにしても、

違和感が少なくなってきて、嬉しいです。

頭の中、全身の力が抜けてきたのかな。

 

このまま、忘れた頃に

気が付いたら全く違和感がなくなってる事を

期待したいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

フォーカルジストニア は治る⁈

フォーカルジストニア を患って

約5年8カ月。

 

 

一度全く弾けなくなった左手ですが

今は順調に回復し、

簡単な曲が弾けるようになりました。

 

 

 

 

5年8カ月の間、地道にリハビリしてきたわけではありません。

リハビリを本格的に始めたのは

今年に入ってからです。

 

その間、ほとんどピアノを弾いていないのです。

 

 

ときどーき、試しに恐る恐る弾いてみることはありましたが、

ほぼ、3年以上は全く弾かずにいたのです。

 

 

 

そこで、

 

フォーカルジストニア は休むことで回復するのか⁈

 

 

 

これは否定している方がほとんどです。

というか未だ聞いたことがありません。

 

 

 

でも、回復したんです!

 

 

 

 

 

 

 

もう一つの疑問は、

 

強迫性障害とフォーカルジストニア は関係があるのか⁈

という件。

 

 

 

 

 

発症したのがほぼ同時期だという事と、

不思議なことに

回復の道筋も同時に辿っているという…

 

 

ネットを調べたり専門家からもその事実は教えてもらえませんでしたが…

 

 

 

私は

関係がある、と今確信しています。

 

 

 

 

 

 

なんでこの情報がこんなに少ないんだろう。

同じ境遇の人はいないのかな。

 

 

 

そこで私は、

強迫性障害もフォーカルジストニア も一緒に治していく!

と決めたのです。

 

というか、治すしかないのです。

 

 

 

 

 

詳しい今までの道のりは

また後ほど書きたいと思います。

 

 

 

 

 

電車

先日、久しぶりに電車に乗る機会があり、

ふと自然に出来た事があります。

 

 

電車のドア付近に立っている時、

ドア付近の壁(座席を仕切っている壁?手すり?)に

寄り掛かる事が出来たのです!

 

(え?だから?ってふつー思いますよね…笑)

 

 

 

 

普段、外出はほぼ全て車移動なので、電車に乗る機会は数ヶ月に一度くらいです。

 

強迫性障害になってから、

ちょうど出産、子育ても重なってか、

電車にはほとんど乗らなくなりました。

引っ越して車生活になったというのもあります。

 

乗らなければ乗らないほど

どんどん苦手になって、

恐怖になっていきました。

 

とにかく他人と触れたくない。

他人が触れた場所を触りたくない。

服や持ち物を誰にもどこにも付かないように。

地面や電車の床には何が落ちているか、

付いているかわからない。

(嘔吐の後や何かをこぼした後や…とにかく汚いイメージ。)

人混みにはどんな人がいるかわからない。怖い。

 

 

 

どんなに長い道のりでも座席に座りませんでした。

 

家に帰ってお風呂に入るまで、

とにかく神経を最大限に尖らせているので、

とんでもなく疲労困憊していたのです。

 

 

さらに

電車で外出した日は必ず、夜寝る前に

その日家を出てから帰るまでの行動すべてを頭の中で振り返って、

何か気になる事は無かったか

確認してからでなくては眠れませんでした。

確認して、気になる事はたくさんたくさんあるんです。

それを一つ一つ「しょうがない

とか「そんなに汚くないから大丈夫

とかって自分に言い聞かせるのです。

 

それがまた辛い作業なのです…。

 

 

 

 

それが4〜5年かかって、

電車に乗る度に少しずつ少しずつ恐怖が減っていき、

今は娘と電車でのお出かけを楽しめるようにまでなったのです。

 

もちろん娘と一緒に座席にも座りますし、

地面に近いロングスカートだって履けるようになりました!

(まだ出来るだけ地面に付かないようにはしてしまいますが…)

 

 

 

いろいろな事が自分の中でゆるーくなっているのは感じます。

 

 

 

 

 

何より、出掛ける前の構えや緊張感と、

帰って来てからの疲労度が

前よりすごく減ってきたのを

今回感じました。

 

 

 

 

 

それでもまだまだ

いちいち気になりポイント多しなので、

もっともっと楽になっていくといいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめんね

久しぶりに娘にものすごい怒鳴ってしまいました。

ただパンを落としてマヨネーズが床に付いただけなのに。

ものすんごい罵声を浴びせてしまいました。

 

 

最近はだいぶそういうことが前より少なくなったなと自分で思っていたのに。

 

自分ではわかっています、強迫行為的な事をして疲れていると、そうなりやすいのです。

ストレスで神経過敏になってしまいます。

 

ついこの前、自分でナポリタンの皿を床にひっくり返して、白い床が一面オレンジに染まった時は、今までみたいにワーッとならずに済んだ自分に驚いていたのに。

 

 

 

久しぶりの自己嫌悪です。

 

後でごめんねと謝りました。

もう一人の病気のお母さんが言ったことだから、忘れてね。何も悪くないからね。

と言いました。

 

 

娘は、可愛すぎる優しい笑顔で、

いいよ、と言っていました。

 

 

だめですね。

 

 

 

スイミング

先日、また一つ大きな壁を乗り越えました。

 

乗り越えられたかどうかはまだわかりませんが、

乗り越えざるを得ない、

受け入れざるを得ない時が来ました。

 

 

娘のスイミングの短期講習が二日間ありました。

お風呂で髪や顔をシャワーで洗うのを超絶嫌がる娘を、水を怖がらないようになって欲しいという思いと、

年中になるのでそろそろ習い事として、やっぱりスイミングはさせた方が良いのかな、という

周りのお友達を見ての考えでした。

 

でもきっと、娘のことなので水を怖がって「やりたくない」と言うだろうと…

まぁ、二日間だけ我慢して頑張れば…と。

 

そしたらなんと、「続けてやりたい」と言うのです。。

 

 

 

 

私がなぜスイミングが苦手かと言うと、

私は靴を脱ぐ所

に行くのが苦手だからです。

靴を脱ぐ所というと、病院やお座敷のお店などいろいろありますが、

子育てしてわかったのは、

子供を連れて行く所はほとんど靴を脱ぐ

ということです。(屋内の場合)

 

 

支援センター、児童館、英語や音楽の習い事の教室、児童図書館、ショッピングセンターなどの遊ぶスペース、病院、幼稚園、などなど…

 

 

靴を脱ぐということは、くつ下や裸足でその場所の床を歩くということ

→他の人がどんな汚い足や手や物で床に触れているかわからない

→そのくつ下や足で家を歩いたら、その汚れが家中に広まる

 

 

 

手は家に帰って洗えるし、服は着替えればいいけど、足を玄関先で洗うのは不可能です。

床はどこを歩いたか後からわからないので、一旦入ってしまうともう家中の床の隅から隅までが汚れてしまう…

 

 

 

そんなふうに考えていました。

強迫性障害の症状が一番ひどい時は。

 

 

 

今もその感覚はまだ確実に、まだまだあります。

今も、靴を脱ぐ場所に行った時は、帰ってすぐに玄関で靴下を脱ぎます。

 

 

症状が一番ひどい時は、そういう場所に行くことすらできませんでした。

 

 

 

 

 

でも子育てを通していろんな経験をしていくうちに、

妥協して、受け入れざるを得ない状況のまま時が過ぎて行き…

 

今はそこまで恐怖を感じなくなりました。

 

 

 

 

でも…まだまだ嫌悪感はあります。。

 

 

出来ることなら避けたい。。

 

 

しかし、子育てをしているとそうは言っていられないことが多く・・

 

 

 

 

まさに子育てが強迫性障害の治療になる

のです!!

 

 

 

 

すべて娘のおかげなんです。

 

 

 

 

 

その過程は追々、少しずつ書いていくと思います。

 

 

 

 

 

スイミングの話題に戻りますが、

スイミングはもちろん靴どころか、

服もすべて脱いでその上、

髪も顔も身体もすべてが他人と同じ液体に浸かるのです!

(※ちなみに私にとってトイレも三大恐怖の一つです。)

 

しかも終わった後、温泉のように身体を洗えるわけではなく、

特に子供なんてシャワーできちんと身体を流せるわけもなく、浴びていないと同じようなもんです。

 

 

覚悟はしていました。

スイミングに行かせると決めたのは自分だし、

なんとか乗り越えられる気がしたので、行かせたのだと思います。

 

でも自分自身も、行った後に強迫さんがどう出るか、わからないのです。

 

 

 

二日間の短期講習の2日目、なんとお母さんたちもプールサイドに行って近くで講習を見学する、というのがありました。

 

つまり、自分も足がプールに…

 

 

 

家に帰って玄関で、あらかじめ用意しておいた除菌シートで足をよく拭いてから家に上がりました。

 

 

娘の身体や足は一切拭いてません。

 

それは覚悟していましたし、

幼稚園に送り出して一年、「娘が汚れた身体で帰ってくる」という感覚にはだーいぶ慣れ、妥協できるようになりました。

 

 

え!

じゃあ家の床にはもうプールが広まってるじゃないか!

床どころか、家中のすべての物に!

自分の足拭くのなんて意味ないじゃん!

 

 

…て矛盾はよくあるんです。

でもいいんです。

 

足を拭くこと自体は強迫行為以外の何物でもないのですが、

 

今回はここまで出来たら十分です。

 

もうジェンガはだいぶ崩れてきてますから。

 

 

 

 

 

モヤモヤする嫌悪感と同じくらい、

 

娘が初めてスイミングに行って頑張れたこと、

またやりたいと感じたこと、

すべての娘の成長が嬉しいのと、

自分が大きな壁を乗り越えられた達成感

を感じています。

 

 

 

 

 

 

来月から毎週のスイミングが始まります。。

どこまで受け入れられるのか、

慣れて全然平気になるのか、

やっぱりムリーー!ってなるのか・・

 

 

とりあえずやってくしかありません。